見る聞く歩く
①宮田団長ガイドウォーク
古道歩きをしよう!
楽しく愉快な先人たちともしばしの間、遊ぼう!
道を歩けば、きっとカラダの中から、不思議な安堵感と幸せな感覚が湧き上がってくるはず。
東京都の多摩丘陵は、鎌倉古道や古代東海道、奥州古道、御尊櫃御成道など12本の古街道が交差する歴史遺産の宝庫です。多摩丘陵から京(みやこ)へまた各地へと続くこの古街道を、あるき、先人たちからの応援メッセージを聴き、悠久の時間の中で遊ぶ体験をご一緒しませんか。
②ガイドリーダーウォーク
A)(月例)多摩よこやまの道
多摩丘陵は武蔵国府(現府中)から眺めると横(東西)に連なる山々。その夕影も美しく、万葉の頃は「眉引きの山」とも呼ばれていた丘陵の尾根筋を走る「よこやまの道」。
多くの古道と重なり交叉し、それらの痕跡や伝説も多く、古道や歴史に関心のある方に愛好されています。また、里山の自然が残っており、四季の移り変わりを楽しめます。この豊かな道を歩き、五感で味わってみませんか? 四季折々の草花や元気に囀る小鳥たちが皆さんを迎えてくれるでしょう!
B)桑都あるき
「桑都(そうと)あるき」として八王子市内を巡ります。八王子は甲州街道の横山15宿として栄え、養蚕業や絹織物産業が盛んになってから桑都と呼ばれるようになりました。戦国時代は後北条氏の八王子城が築かれ、江戸時代には八王子千人同心が置かれたように軍事拠点としても重要な町でした。
東西に甲州街道が通り、南北に日光脇街道や相模往還が交差する交通の要衝です。また発掘された古墳の数も東京都で一番多く、古代から中世近世と見どころは豊富です。歴史と文化が融合した古都・桑都をのんびりと散策します。美味処を一緒に発見するのも楽しみです。
C)多摩の古街道と遺跡・城址めぐり
多摩丘陵は武蔵野と相模野とを分ける位置にあります。都と直結していた街道、村々を結ぶ道や鎌倉時代の武士団屋敷を結ぶ道そして江戸時代までずっと続いた「幹線道路」が幾つも丘陵を乗り越え集まっていました。
――八ヶ岳・蓼科から黒曜石を運んだ「縄文ロード」、奈良や京の都から貴族がやってきた「奥州古道」や「古代東海道」、武士たちが駆けた「鎌倉古道」、日光への「家康の道」、「新選組の道」、「大山参詣道」、「絹の道」など、数多くの歴史的に重要な街道跡が、多摩地域に今も存在しています。
古街道は、遺蹟や城址などのネットワークのインフラであり、人と情報を運んだ痕跡を残していることもわかります。道と遺跡・城址の存在理由や特徴などを探りながらご一緒に歩いてみませんか。
③バスツアー
バスの車窓から、季節ごとに変化を見せる山の景色などゆったり眺めながら、遺跡や歴史街道を巡れるのもバスツアーの楽しみです。
首都圏から日帰りで歴史ある街を訪ね、神社仏閣や史跡が私たちに語りかけてくるこの微かな鼓動を受け止め、タイムスリップした時を過ごす小旅行に出かけませんか。歴史テーマと旬な季節を味わうコースを設定し、遺跡と街道のつながりやおもしろさを探ります。また宿泊を伴う遠距離のコースも計画します。
④防人まつりウォーク
万葉の時代、防人達が武蔵国府のある府中から、役人に引率されて難波津(大阪港)に向かって歩いたであろうと思われます。その行程と推定される古代東海道を辿るウォークです。
北九州へ向かう防人たちは、それぞれ国ごとに国府に集められ防人部領使(さきもり
ことりづかい)に引率されて出発しました。武蔵国では、府中から隊列を組んで旅立ち、やがて多摩川を渡り多摩丘陵の小高い丘の峠では二度と戻れないかもしれないことを覚悟して、愛しの妻や家族に手(袖)を振りながら心の中で別れを叫んでいたと思われます。
当団は、この峠を「防人見返りの峠」と名付け、標柱を設置しています。
夕暮れ時の峠から見る景色の美しさは、時代を超え、大きな感動を与えてくれることでしょう。
▶これまでの実施回数とコース>>
日本中に張り巡らされた道や街道
その起源は古墳時代に遡るなど諸説ありますが、都と地方を結ぶ「官道」が整備され始めたのは、飛鳥時代とされています。
人や物資と情報そして時代の文化も運び、各地の生活や習慣と結び
ついた道は、やがて「街道」と呼ばれるようになりました。
ニュータウンや都市開発で分断・消滅した街道も多い中、今も宿場などに当時の面影が色濃く残る道や、日々の生活道路として活躍する道は、私たちに多くの歴史を語りかけてきます。古地図を片手に、古道や古街道をご一緒に歩いてみませんか?