ガイドウォーク:百草城と高幡城


寺社から城郭そして寺社への変遷


ガイド : 山志多 実(団員)

集  合  : 京王線「百草園駅」南口→大宮神社前 10時  

参加者 :43名

 

【コース】

京王百草園駅~大宮神社前(集合10:00)~八幡下公園~百草園(百草城)見晴台(昼食11:30~12:15)~百草八幡神社~朝日山緑地~三角点公園~滝の上公園~高幡不動尊 金剛寺~上杉堂(上杉憲顕の墓)~文永の板碑~高幡城址~竪土塁~本丸址~山内経之供養塔(解散15:20)~近藤勇・土方歳三顕彰碑

 

【内容】

 百草園の地には、鎌倉時代には真慈悲寺が建立されていたが、室町時代以降しだいに荒廃し、跡地は松連寺の境内になった。

「風土記稿」によれば「八幡社」として、源頼義・義家が前九年の役に際して戦勝を祈願し、凱旋の際に社殿を再建したとの伝承がある。

 現在残る百草城の遺構は狭い曲輪の連続で寺院の堂跡を利用・改修して多摩川渡河点の物見或いは砦・集結場のために利用された可能性がある。

 高幡不動尊は平安時代初期に不動堂を建立したのが始まりと伝わる。

 城の初見は享徳4年(1455)古河公方成氏と管領上杉氏の軍勢が分倍河原から立河原一帯で激戦を交え古河公方の勝利となった。

「鎌倉大草紙」によれば負傷した上杉憲顕が「高旗寺」に逃れて自決したと伝わり境内には上杉憲顕の墓がある。永正元年(1455)の立河合戦でも陣所(陣寺)として使われたと考えられる。

 

【感想】

風もなく穏やかな日、山志多ガイドの城シリーズ再開をお待ちになられていた方や、城跡に関心をお持ちの方も来られ、43名で二つの城跡を歩きました。

 

百草園に行く迄の心臓破りの急坂(松連寺坂)、高幡城跡への上り坂では、マスクが辛く感じましたが、皆様しっかり着用され頑張ってくださいました。解説初めに今回の城跡は文献・資料が少なく、周囲の歴史から推測するものです、といった断りがありましたが、城跡マニアの方だけでなく歴史に熱心な方も多く、質問が飛び交っていました。

 

山志多ガイドは、長く中世城跡を実地調査を繰り返しながら研究されている方で、質問にに対して丁寧にお答えになっておられました。

高幡城跡の南側の竪土塁は、普段見逃してしまう場所にあり、皆様興味を持たれたようで、足元に気を配りながら急斜面を下りました。

次回城跡廻りがあることを期待しながら、お帰りになられた方がもおられます。

次はどちらでしょうか?

 

ーウォークの様子ー