歴史講演会


テーマ: 

「わが夫(せな)を筑紫へ遣りて」 ~防人について~

 

 講師:須知正度数

 多摩市関戸公民館8階大会議室(14時~16時) 21名



開始前・終了後にドアノブや机等の消毒、窓も定期的に開けて換気しながらの講演会となりました。

 また参加者には、受付時に手指の消毒・間隔を空けてのご着席をお願い致しました。
ご協力大変ありがとうございました。

 

当初、岬守(みさきもり)であったが→御崎守→崎守→防人と変化して行った考察(資料掲載)に、学生時代、防人は「ぼうじん」ではなく「さきもり」と習い、珍しい読み方に強く印象に残っていたのが、今回で納得できるものとなりました。

 

表題の「わが夫(せな)を筑紫へ遣りて」は、服部呰女 (はとりべのあさめ)が詠んだものです。
● 和我世奈乎 都久志波夜利弖 宇都久之美 叡比波登加奈々 阿夜尓可毛祢牟
・我が夫汝(せな)を筑紫へ遣りて 愛(うつく)しみ  帯は解かなな 奇(あや)にかも寝も(万20-4422)
・あなたを筑紫へ遣って いとしいあまり 帯は解かずに わけの分からない不安に駆られて寝るのだろうか

呰女は武蔵国都筑郡の服部於由の妻であり、於由は天平勝宝7年(755)2月、防人として筑紫に派遣されました。


 遠くへと赴く夫への惜別の情がよく表れた歌です。

防人歌は、作者不詳ではなく作者名や出身地が記されており、於由の歌には都筑郡の地名が見られます。
 横浜市青葉区みたけ台にある祥泉院の境内には、郷土史家の方が建てたという服部夫妻の歌碑があります。

部領使(ことりづかい)を経て大友家持に渡った歌の中から、家持が選んで万葉集に載せた内の東国計が50.6%というのも興味深い集計でした。

 

防人とは何か?、その規模とは?で始まり、万葉集に収録されている防人歌の経緯、最後に武蔵国の防人歌の解説と内容の詰まった講演会でした。

 


ー講演会の様子ー