多摩よこやまの道


「よこやまの道」は、万葉集において多摩の横山と詠われた多摩丘陵の尾根部に位置し、「多摩の自然と歴史にふれあう道」を基本テーマに整備が進められてきました。
既存の山路や尾根沿いに残された自然や緑を積極的に活かしながら、樹林内の散策路や休憩広場、多摩市域を一望できる展望広場等が整備され多摩丘陵や多摩ニュータウンの風景とともに、四季折々の自然に親しみ地域に残る史跡や伝説の歴史文化にふれあうことのできる全長約10kmの遊歩道です。

 

★この古道整備事業の歴史監修を2002年~2004年に古街道研究家の宮田太郎氏(現・歴史古街道団団長)が行ない、歴史解説版の文とMAPの原案を担当しました。


 

よこやまの道」の位置する尾根筋は、古代より武蔵野と相模野の双方を眺められる高台として、また西国と東国を結ぶさまざまな交通の要衝として活用されてきました。
この尾根筋には、鎌倉古道(鎌倉街道早ノ道、鎌倉街道上ノ道、(仮称)軍事戦略鎌倉道)や奥州古道、奥州廃道、古代の東海道、などの重要な歴史街道(古街道)が縦走、横断し、その痕跡やさまざまな伝説等が語り継がれています。
古代から中世~江戸時代にわたって政治、軍事、文化、産業、社寺・霊地参詣などを目的として、東国-西国間の交易を行なう商人や鎌倉武士団、諸国霊場を行脚する巡礼者や都の貴人、新選組が行き来したと推測され、歴史とロマンを感じることのできる道となっています。

 


 

は、多摩は古街道の宝庫

 

 

 

「多摩ニュータウンは歴史が無い新しいまち」ではありません。正反対に日本の歴史上、稀にみる貴重な大遺跡群が存在したのです。ニュータウンの地下から見つかった約一千か所の遺跡群は日本最大級です。三内丸山と同様だった縄文大集落群、弥生の環濠集落、飛鳥・奈良の都と直結していた街道と村々、鎌倉時代の武士団屋敷、そして江戸時代までずっと続いた東西ニッポンを結んだ「大幹線道路」が幾つも乗り越え集まっていたのです。

 

――八ヶ岳・蓼科から黒曜石を運んだ「縄文ロード」、奈良や京の都から貴族がやってきた「奥州古道」「古代東海道」、武士たちが駆けた「鎌倉古道」、日光への「家康の道」、「新選組の道」「巡礼街道」「大山参詣道」「生糸街道」「絹の道」「鮎街道」など、数多くの歴史的にたいへん重要な街道が、多摩ニュータウン地域に今も存在しています。